◆ ちょっとお知らせ ◆
My Favorite 「私のお宝」
2013年04月12日
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「私のお宝」
高校39年卒 山口 幸子
私のお宝はJRが期間限定で発売する「青春18切符」です。一日24時間各駅停車又は新快速ランナー等乗る事が出来るので時間があれば全国行きたい所に行けます。
切符が発売されると私の身も心も行きたい所、見てみたいところ訪ねたい人へとスイッチオン!!
2012年の夏はいざ「西日本一周汽車の旅」と相成りました。
大変強行軍の旅ですが皆様も地図と時間表と共にいかがですか?いざ出発です。
京都二条 → 福知山 → 豊岡 → 城崎 → 浜坂 → 鳥取 → 米子 → 浜田
5:36発 7:27着 9:51着 10:07着 11:09着 12:09着 13:45着
8:37発 9:55発 10:08発 11:15発 12:16発 13:47発 17:26到着です。
本日所要時間は「10時間10分」
この間車中では鳥取の砂丘を思い友と訪ねた境港を思い出し友人家族を思いお城、神社、お寺を思い中学時代地理で習った穴道湖(シンジコ)が目の前に広がる様子は真に旅の醍醐味です。
車窓に広がる海、山、緑、田畑、夕日と共にお弁当、読みたかった何冊もの本、楽譜読みに日記に友への手紙、たまにウトウト昼ね付き地方の方の方言に心なごみつつ至福の時が流れます。
本日は山陰浜田にて羽を休める事に致します。浜田は古きは航路の要所として栄えた町だそうです。予約しておいた駅に一番近いビジネスホテルに宿泊です。お風呂で一日の疲れをとり、ガイドブックでチェックしておいたお店へいざ出発!
本日は「とんかつや」さんになりました。地元の人々が賑やかに会食なさってました。
明朝4時30分起床。
早朝の駅水が打たれ清々しい空気の駅構内に2・3人の人影、ピカピカのローカル始発列車は私一人の「お召し列車」と相成りました。
浜田 → 益田 → 長門 → 吉見 → 下関 → 徳島 → 岩国 → 広島 →
5:31発 6:25着 8:34着 11:51着 13:47着 15:55着 17:07着 18:06着
6:30発 10:04発 13:23発 13:59発 15:59発 17:15発 18:10発
岡山 → 姫路 → 京都
21:00着 22:36着
本日は14時間汽車の旅、皆様いかがでしたか。旅に出ましょう。
※注意:2012.4月の時刻表参照
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和解の証の十字架
2013年03月31日
私がドイツの文化に興味を持つきっかけになったのは、女子中高時代、友人の影響で観たミュージカル『エリザベート』でした。王族の責務と魂の自由、生と死の間で葛藤する皇后の姿に思春期の悩みを投影し、美しい音楽やドレスに胸をときめかせ、ウィーン・オリジナルキャストのCDでは、ドイツ語の力強い響きに憧れたことも憶えています。
それゆえ、大学の語学ではフランス語・ドイツ語の二択から迷わずドイツ語を選択しましたが、残念ながらあまり上達しませんでした。けれども、ドイツ文化に対する興味はますます高まり、歴史小説や歴史書などを細々と読んでいました。そんな私に、友人が「あなたは絶対この本が好き!」と勧めてくれた本が、皆川博子『総統の子ら』でした。
ヒトラー・ユーゲントというナチスのエリート養成教育機関が、物語のはじめの舞台でした。日本の陸軍幼年学校に近いものかもしれません。高い志をもって将校になった主人公は、やがて敗戦を迎えたドイツの戦犯として、謂れのない罪に問われて死罪となります。正義と悪という二極化された対立構造の中で、勝利者によって「創作される史実」の恐ろしさを思い知りました。
本の中で特に印象的だったのは、ドレスデン空襲の場面でした。
幼いころから、私は「京都という街は文化財があるから、アメリカも空襲が出来なかった。だから文化に感謝して、大切にしなさい」と聴かされて育ってきました。
ドレスデンは、かつてはザクセンの都でもあった、ドイツでも有数の文化都市でした。この街の建築物や文化財は価値のつけられないほどのものであり、空襲など絶対にないだろう、という安心感があったのでしょう、戦時中には多くの貴族がこの街に避難して、国境線で戦闘の行われているその瞬間にもオペラを楽しんでいました。
けれども1945年3月14日、その街に爆弾は落とされました。ロンドン空襲に報復することを、イギリス軍は譲らなかったのです。
ドレスデンは戦後「東側」となり、空襲によって破壊されたフラウエン教会は、長らくその姿のまま保存されていました。再建が始まったのは1993年、東西ドイツが統一されてからの事です。
いつの日か再建をと願った敗戦当時の市民の手によって、瓦礫の一つ一つは拾い集められ、番号を打たれて、大切に保管されていました。再建は、そうして残されたピースを可能な限り生かし、足りない部分を補うという形で少しずつ進められました。
そして2004年、完成した教会の頂上部には、和解の証として、イギリスから贈られた十字架が立てられました。
その教会を、どうしても見たいと私は思いました。
「壁」が崩壊したのはちょうど物心ついたころで、それゆえ、「壁」によって世界が分かたれていた時代のことも、崩壊の感慨も、私にはわかりません。けれども、だからこそ、私にとっては文字で読んで想像することしかできない歴史を、この肌で感じたいと思いました。
語学留学の場所をドレスデンに決めたとき、迷いはありませんでした。
ドレスデンに降り立ったその夜、もうかなり遅い時刻でしたが、教会前に足を運びました。
聳え建つような、大きな教会ではありません。けれどもその存在は、見た目よりはるかに重く、大きなものなのだと感じました。
教会前の広場には夜でも人々が行き交い、音楽が流れ、温かい灯りがともった周囲の建物からは、夕餉の歓談の声が聴こえました。
敗戦時の写真で地上に転がっていたルターの像が、黒い人影となって教会の前に堂々と立っているのを目にした時、ああ、ついに来たんだなぁ、との感慨を抱きました。
その時代を実際に生きていなかった私達の世代は、学びを通して想像することしかできません。
けれども、歴史を読み、文化に触れて想像することで、同じ過ちを繰り返さないことを望み、価値あるものを守りたいと想いを抱くことはできます。
新しいものや異なる文化に触れ、知ることそのものが喜びであった頃の小さな出会いが、今につながり、学ぶことの意味を教えてくれたように感じます。
(H15年 女子中高卒 入江 真愛)
My Favorite 音楽ボランティア
2012年09月07日
音楽ボランティア
その後、最初にデイサービスを訪問した時、目の前にいらっしゃるお年寄りの方々が、あんまりにも良いお顔をされて聴いて下さるのと、母もこんな風に過ごしていたのだと思うと気持ちが込み上げた。

それ以降徐々に訪問する施設も増え、演奏回数も延べ30回以上になった。私達の訪問を楽しみにしてもらっていると思うと、演奏者冥利に尽きる。
My Favorite "I'm fine & Sing"
2012年08月27日
『 I’m fine & Sing 』 ・・・Jazz Vocalistの独り言・・・

My Favorite 会津の女性 八重
2012年08月12日
会津の女性 八重
会津盆地の夏は蒸し暑く、冬は格別に寒く雪が多い。こんな風土から大変我慢強い人々が生まれ育った。秋には身知らずの柿が色づき独特の風情を醸し出す。
目を引くのは会津桐である。女児が誕生すると、必ず桐の木を一本庭に植え、嫁ぐ日の為の箪笥を準備するのが会津の人。自立の精神はこんなところにも伺える。海から遠い会津の地では、会津藩の武士は家族を養う手段の一つとして山菜を栽培した。
戊辰戦争で、自らも武器を持って戦った八重は負傷した多くの兵士を看護したこと、結婚以来、夫襄が病弱で、その看病に明け暮れたことなどが、襄亡き後、篤志看護婦の道を選んだことにつながっている。覚馬、八重の母山本佐久のことを良く知っていた会津に住む古くからの人は代々今に至るまで、佐久は利口な婦人で通っていたと話す。当時住民の間で流行した天然痘に心を痛め、近所に住む頑固な人たちを説得し、その予防に種痘をすることを勧めていた。そのような母を身近に見ていた八重は医学の大切さを十二分に知っていた。
今も伝わる「会津の三泣き」――。会津の人は冬寒くて泣く。会津の人情の厚さに泣く。他の土地に出て会津恋しやで泣く。会津で育った八重は天に召される日迄、泣く泣く西軍に鶴ヶ城を開け渡したあの日、あの時のことが脳裏から離れない。心から会津を愛し、葵の御旗を忘れられない一人だったに違いない。(「同窓会報52号」 特集P29)
加藤聖子(28年高)
My Favorite 新島旧邸
2012年08月06日
7月11日、同窓生である母に誘われ、新島旧邸の見学に行ってまいりました。
開場時刻前からスタンバイ。
今はまだそんなに混んでいませんが、9月からは開館日程・内容共に大河観光仕様になるそうです。
門を入ってすぐ左手で入館手続きをして解説書をもらい、母屋へ。奥に見えている玄関で靴を脱ぎます。
外から見るとほとんど洋館という印象。
応接も洋風です。茣蓙が敷いてありますが当時は板張りのままで使っていたそうです。
八重さん愛用のオルガン。演奏CDがかけられていました。
先進的なセントラルヒーティングシステム。
八重さんの茶室「寂中庵」。
襄の書斎。学生たちは自由に使用していたそうです。…大学図書館ですね。
二階にはベッドが。
9月以降は1階のみの見学ということだそうです。写真はベランダ。
台所は日本式ですね。井戸もあります。
会報の特集で八重さんの生涯を取材したこともあり、襄と八重さんの生活の息吹を感じられる旧邸の見学は大変感慨深い体験となりました。
9月以降の開館予定については公式サイトをご覧ください。
新島旧邸
※掲載の写真につきましては、同志社大学広報部より当記事掲載に限って許可をいただいたものですので、無断転載・利用はご遠慮ください。
(2003年高 入江 真愛)
My Favorite 東野圭吾「天空の蜂」
2012年07月31日
東野圭吾「天空の蜂」
テロリストに奪取され、爆弾を積んだ自動操縦状態の超大型ヘリコプターが、稼動中の日本の某県にある高速増殖炉の真上でホバリング。そして「現在稼動、建設中の原発を全て使用不能にしろ。さもなければヘリコプターを落とす」の脅迫から始まります。その理由や結末は…内緒です。
昨年の東日本大震災が起こらなければ、ただの空想科学サスペンスだったかもしれませんが、大地震と津波によって想定外の福島原発事故が不幸にも起こってしまいました。
著者が思い入れの強い作品と語っているように、1995年刊行のこの小説は、はからずも今日の国家危機を予測していました。
本書では原発を推進する立場、反対する立場、無関心な立場、様々な立場の登場人物が原発について語っています。
原発は単純に危険だ、だけではなく、原発がなければ私達の今の生活が成り立たないこと、危険と隣り合わせにどれだけの恩恵を受けているのか…
原発によるエネルギー問題は、知らなかったではすまされない、目をそむけてはいけない大切な問題であり、これを知り向き合って行くのは国民の義務だと思い知らされました。
あくまでも小説ですが、節電を考える今こそお読み頂きたい作品です。(原子力発電は原発と省略致しました。)
46高 吉森(土肥)由美子
My Favorite 京都は文化のテーマ・パーク!
2012年07月11日
月に一度、社寺巡りや伝統文化を学ぶ会を2007年から10名のグループで楽しんでいます。何と京都には金閣寺や清水寺を筆頭に17もの世界遺産があるのです。それらを中心に、庭園、美術館、町屋などを、京都検定のテキストを参考にして歩き、検定には一年目で合格しました。
先月は、西加茂の古刹、正伝寺を訪れました。比叡山を借景にした庭園には、美しく刈り込まれたさつきが七五三調に配置されています。広縁に座って、ゆっくりとながめて、至福の時を過しました。でも、見上ると生々しい血天井が!伏見城の落城の時の床が移築されたもので、都の歴史がひしひしと感じられました。
足をのばして、鷹峯には、円形と角形の窓で有名な源光庵があります。光悦垣や工芸品が見事な光悦寺も、おすすめです。
お寺巡りだけでなく、たまには、瓢亭の朝がゆや柊家さんでのおもてなしの京懐石料理をいただいて、食文化体験も楽しんでいます。それが「楽人会」が続いている、秘訣かと思います。
佐藤 和子(S.42年 高校卒業)
My Favorite シャンソン教室に通って
2012年06月28日
. 子育てが一段落した頃、ヘルパーの仕事をしていました。自分の両親は元気だったので何故か「自分とは別や」と思っていたのに例にもれず介護が始まりました。軽い気持ちでただ気分転換になるのではとチラシを見てシャンソン教室に体験に行きました。日常からはなれた楽しいひとときにルンルン気分になり、すぐ申し込みして、早や十数年経ちました。
その間、やめたいとか休みたいとか思ったことは一度もない位アッと云う間の年月でした。年に一回、文芸にて発表会が有ります。舞台のそでで、出番を待つ間は心臓パクパク。緊張感でいっぱいです。が、歌い終った後は山登りやマラソンと同じで達成感を味わえます。「得意でもないのに何で習っているのやろ」と、最近思います。教室の仲間は小さい頃から代表で歌ってたとか聞いています。はてはて私といえば、全くその反対でリズム感悪い、音痴ときている。いまだ先生から「良かったよ」を言われる事もない。おまけに上がり症という情けない始末。自分でも続いているのが不思議な位。「継続は力なり、老化防止、声を出すことは健康に良い」と開き直っています。贅沢にも生伴奏でピアノの音色を聞いてるだけでも気分が良いし、手を抜かない吉永修子先生の厳しい指導にも感心し、特別上手な人が集っている我が教室の仲間の歌を聞けるのも楽しみです。各々の個性を持った人達と出会えるのも魅力です。自分らしい歌が歌えるのはいつのことやら、えっちらおっちらと続けていきます。今年こそは、気の小さい自分の殻を破って伸び伸び歌いたいと思っています。良かったら聞きに来て下さい。
プロムナード、11月9日、10日の両日5時30分から 整理券必要なので連絡下さい。
女子高校1964年度卒 白石(高橋)美寿ゞ
My Favorite スコットランドへぶらっと…。
2012年06月22日
スコットランドへぶらっと…。
こんな風に、書き始めると、なんか優雅にのんびりとセレブな旅行に行ったかのように思われるかもしれません。
大学在学中から卒業してしばらくの頃、世間が休みではなく、日本人の海外脱出の少ない頃に、海外旅行に行くことができていたのが癖となり、仕事を始めてからも、お盆、正月、ゴールデンウィークは大人しくしていて、ここと思った時期に、突然、飛行機を押さえ、行程を作り出し、旅支度を始める。
周りもこんな私の行動には慣れっこで、「今度はいつ?」と、いつも快く送り出してくれる。呆れているのだろうが、ありがたく感謝に尽きる。
だいたい2年周期くらいでやってくる脱出癖のターゲットが今回は「スコットランド」となった。
なぜ、スコットランドに行こうと思ったかなんて、単純な理由で、まず、
英語圏であること。
訪問した事がないところ。
人が少なそうなところ。日本人に会わないところ。
歴史、古き時代を彷彿とさせてくれるところ。
これを絞り込んでいくと、今回は「スコットランド」にたどり着いたのである。
ただ、人恋しくなるのは分かっていたので、最後は南下してイギリスに入り、いわゆる観光地とロンドンの喧騒で社会復帰を図り、帰国したいと計画した。
勝手に「人間再生の旅」と名付けているが、決して贅沢はしない。
一人の気ままさだけで十分なので、移動手段の飛行機チケットはマイレージポイントで貯めたマイルを利用し、「燃料サーチャージと空港使用税」だけを支払い、泊りはすべてB&B(朝食、シャワー付きで7000円くらい。イギリスは結構高い)で、島内移動は、レンタカーと鉄道。
車ももちろん、ミッション車で、1000ccクラスの小型車。贅沢はと言えば、「ナビゲーション付」くらいだろうか。鉄道は出発前にレイルパスを購入し、普通席で乗り放題。
でも、バックパッカーのような格好にはちょっと抵抗があるので、普通の大型スーツケースをコロコロと運ぶ。
マイル利用なので、航空会社や離発着空港は贅沢が言えないが、今回はルフトハンザ航空で、関空→フランクフルト経由→スコットランド・エディンバラへ。
これから10日間の再生旅スタートであるが、プロローグはこの辺で。。。
全行程を書き綴るには長すぎるので、また次の機会に続きが書ければと思っています。
1984年英文卒 筧 順子
My Favorite 思いがけない素敵な出会い
2012年06月06日
思いがけない素敵な出会い
去る4月の桜花爛漫の頃に「八重の桜」と出会いました。あるテレビのニュース番組の中継で「花を愛でよう 春の歌に寄せて」というコーナーに私の所属するコーラス団体が出演させていただきました。
京都には、数多くの桜の名所がありますが、京都府庁にある桜をご存じでしょうか。京都府庁旧本館は明治37(1904)年にルネッサンス様式で竣工された建物で、重要文化財に指定されています。
その中庭に数本の桜の木があります。中庭中央に祇園枝垂れ桜、そして周りに容保(かたもり)桜、大島桜、紅一重桜、紅八重枝垂れ桜等です。その「容保桜」とは、この地が京都守護職上屋敷跡でありその守護職を務めた会津藩主松平容保にちなみ命名されました。
松平容保は八重さんが、大変信頼をよせていた藩主でもあり「八重の桜」とも言われています。大島桜と山桜の両方の特徴を併せ持っためずらしい品種で力強さを感じます。
夕暮れ時になりアーチ型に囲まれた中庭でグラデーションのように白や淡いピンクから濃いピンクと咲き乱れる花々がライトアップされた幻想的な空間で、「荒城の月」と「春」を歌うことができ、最高の幸せでした。
八重さんはこの桜をどのような思いで見てらしたのでしょう。
同窓の皆様には、7月7日の総会で、本井康博先生の講演「八重の桜、舞う」を聞いて頂き、来年の春には、いにしえのみやこ人を見続けてきた「容保桜」に、八重さんの思いを馳せていただきたいです。
田中嘉代子(46年女子高卒)
My Favorite 昭和ひとけたの意地
2012年06月05日
父の日によせて、ご投稿いただきました。
昭和ひとけたの意地
父は、昭和10年1月3日生まれ(お正月なので誕生日を祝ってもらったことがない)学年は、昭和9年の仲間になる。
70の声を聞いても、実にフットワーク良く働いていた。その父に困ったところがあった。ポケベルが流行ろうが、ケイタイが流行ろうが、持たないのである。つまり家を出たら最後、連絡が取れないわけなのだ。そして父がいないときを見計らったように、お客さんがやってくる。今までそこらに居たはずだと思って捜すのだが、いつの間にか姿を消しているのだ。
断りを言って帰ってもらったと思ったら、姿を現す。その繰り返しなのだ。そして、いつ頃来ただの、何の用だったの言うのである。まるで糸の切れた凧のようだと、何度思ったか知れない。まあ、戻ってくるのだからそうとも言えないが…。
その父がやっとケイタイを持った。実に嬉しそうにいじっていた。簡単な操作もほとんど出来なくて、孫にめんどくさそうに教えてもらいながら…。そのケイタイが一ヶ月も使わずに形見になろうとは夢にも思わなかった。
大空に凧になって高く高く飛び立っていったのだろうか…。
梅田良子(1984年家政学部卒)
My Favorite 井上靖「後白河院」
2012年05月11日
今回の記事は、HP委員会より、38年高卒の下谷祝子 さんに依頼してご執筆いただきました。
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余程本好きと知られているのか「書評」のコーナーに、今時のもので、ただし最近出版されたものは新聞等に載るので、その辺は避けて「何か」とのこと。
NHKの大河ドラマは毎回ドラマそのものへの好みとは別に、そんな時代があった事を思い出し、書店にはこの時とばかりに「関連書」が並ぶのが、楽しみである。
そんなことで今年の大河ドラマ「平清盛」がらみで「今どき」ではあるが「ずいぶん昔」に出版されたものをとりあげてみた。
井上靖著 「後白河院」 筑摩書房 昭和47年発行
胎頭してきた武家勢力に抗して天皇・公家による政治体制の維持に孤軍奮闘した後白河院の「人となり」を、その時々に近くにあった4人が往時を語っている。
最初が保元・平治の乱当時、蔵人であった堂上平氏の平信範。
自分を帝位につけ、皇室内の確執も摂関家の内紛も一挙にかたづけた信西にむける院の「目なざし」に、以後続く平治の乱、院政の復活を予感しているし、 次の建春門院(後白河院后・高倉天皇母・清盛妻時子異母妹)に仕えた藤原俊成女は高倉帝即位、徳子入内と平家一門全盛期、表面の華やぎの底にざわめいていたものが、女院崩御を機に「重しが取れたように」騒がしい時代へと雪崩れて行く様を案じている。
三人目は院の執事として「院に二心なき人」と評された峻厳な能吏の吉田経房だが、清盛逝去、平家西走、義仲入洛・敗死、平家滅亡、義経失脚と、源平の争乱を逆手に宣旨・院宣を朝令暮改的に乱発して切り抜けようとした院を「武断の政はどのようなことがあっても排さねばならぬ。・・・・院はそのようなことをなさるためにお生まれ遊ばされた方と申し上げていいかと思う」と支えている。
最後に、九条兼実(関白・かつて平信範に保元平治の事を聞いた)は後白河院崩御の後「武人という武人は一人残らず院にとっては敵というべき存在」であった「後白河院は六十六年の生涯ただ一度もお変わりにならなかった」「ただ口からお出しになる言葉だけを、方便として、その時々に依ってお変えになっていらしたまでのことである」「ただひとりでお闘いになり、結局はお勝ちになったのである」と。
源頼朝から「日本国第一の大天狗」ときめつけられたのは後白河院にとってはある意味面目躍如たることではなかっただろうか。
突き放したような乾いた文体に、かえって後白河院への思いが籠っているような感じがする。
38高 下谷祝子
My Favorite 朝散歩のススメ(賀茂川編)
2012年05月06日
朝散歩のススメ(賀茂川編)
My Favorite 「脱原発のエネルギー計画」
2012年04月10日
桜の季節となりました。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
ちょっとお知らせのコーナーに“My Favorite”のカテゴリーを作りました。ここには、会員のお気に入りなど、皆様に楽しんでいただけるような身辺の事などを載せていく予定です。皆様からの投稿もお待ちしています。
今日は、おすすめの一冊をご紹介します。